お母さんとは面識はないけど、会ったことがないという気がしない。
95歳のお母さんのお通夜にしては、想像以上に大勢の方々が来ていた。
ちょっと驚いた。
もちろん知ってる人はいなかった。
そういう点では寂しかったけど、行って良かったかなと思う。
祭壇に飾られていた遺影を見て、笑いを堪えるのがちょっと大変だった。
あまりに”じゅんちゃん”とそっくりだった。
”じゅんちゃん”っておばさん顔だなと思っていたけど、母親似というだけだったようだ。
”精進落とし”が準備されていたけど。
知ってる人もいないので遠慮して帰ってきた。
喪主席に座っていた”じゅんちゃん”はそれなりに悲しい顔をしていた。
目と目で挨拶をした。
明日は告別式で忙しいだろうけど。
多分その次の日は、私のところに遊びにやってきそうだ。
天命を全うしたんだから悲しむのは失礼だと彼は思っている。
それが仏教的に言って正しいのか違うのかは分からない。
まあ本人がそう思うならそれでいいんじゃないのと思う。⇒ ポチッ
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